2007/09/24 ネコと買い出し

月曜日。



ネコが居たので撮る。


が、手早く逃げられた。


このときの移動が見事なもので、思わず図示してしまうが、

  • 車のボンネットに乗り
  • 車の屋根から柵の上へ
  • 柵を歩いて
  • 玄関上のアーチへジャンプし
  • アーチを歩いて
  • 2階の柵をするりと抜けて行った。

という一連の動作が澱みなく行われた。



それはともかく、帰国したIさんと買い出しへ。
いろいろ時間が無いのでアキバへ行って急ピッチにドカドカ買う。
iMacやらディスプレイやら椅子やらハードディスクやらメモリやらで、ウン十万。
すっかり買い出しで一日が終わってしまった。


仕事のほうがだいぶ厳しい要求が来る。
これまで言われるとおりに対症的にやってきたが、そもそもこのやり取りでは構造的に埒があかないという危機感をここに来てやっと抱く。

2007/09/22 初家具

土曜日。

今週はIさんが旅行中ということで、上と下とのやり取りに追われるばかり。そうした仕事管理に慣れないせいもありどうにも制作どころじゃない。一人で制作とディレクションを同時にやるってのは厳しい。なるべくどちらかに専念する立場を取れるようにしないと。


夜、Hさんが来る。
事務所用にテーブルをもらった。

初家具!


椅子も何も無いのでしばし部屋の中で立ち話。
何を話したんだっけ…。

2007/09/21 温度の味、渋谷、実況、同じ顔

金曜日。
Iさんの代理で昼から出先の仕事へ。


軽く松屋で腹ごなし。
やけに水が美味い。市販のお茶よりずっと美味しく感じる。
たぶん、自販機よりキンキンに冷えてるというのがポイントなんだろう。
なんか自販機から取り出したあとに過冷却して凍らせる技術もリリースされるんだっけ。
そのくらい味にとっては重要なファクターなのかもなと実感。

なーんてどうでもいいことを松屋風情で感心したりするのは、いかにも柳沢きみおマンガっぽいが、僕は柳沢きみおマンガファンだ。


渋谷のドラ壁が消えてた。

けっこう昔からあったし、保育園の向かいということでわりと親しまれてたのかなーと勝手に思ってたけど。それを残念と思っちゃったりするのも無責任だよなと思いつつ、在りし日の写真は撮っておけたので、まぁ。

http://d.hatena.ne.jp/miyaoka/20061118/1163830187

こうして見ると新しい壁はえらくクリーンで清々しいなあ。


着いて、厳密なタイムスケジュールどおりにかっちり仕事。
いつもの自営業仕事とは180度違うから、たまにやるといいドライブ感。
休憩中にテレビ見てたらえらい面白くて、ふだんWebばっかり見てるから
いやーWebってとことん動かないメディアだよなと思ってしまったり。
youtubeとかニコニコとか動くけど。あれはアーカイブされた動画コンテンツだから、静的なのか。
ニュースとかのリアルタイムなコンテンツが動画配信、ってすごいよなーと。なんだ今更。


追突されて3人の子供をなくした方が新しく子供を出産したというニュースが流れて
亡くなった子供さんたちの名前がアレで、そういや当時それで話題になってたアレかー、と思い出して
疑問が容易く共有に変わるWebってすごいよなと再認識。こういうとき実況板が見たくてしょうがない。
新しい子は普通の名前になってたのでちょっとほっとした。


ニコニコは結局のところ、コメントどうこうよりも
youtubeより指向性のある動画共有コミュニティ」という意味が一番大きくなっている。
だからやはり、テレビを見ながら実況板が「必要」と感じるあの感覚はまだ果たされてない。
まあ単にニコニコにテレビが流れりゃいいんだけどね。


帰って買い物して出たところで、4人組の女性とすれ違う。
よく見るとみんな同じ顔!
やや細めの目で、似たような髪形で、それが横一列に歩いてくる。
いや、左端の人だけちょっと年とってるか?
母親と3つ子の娘?
なんてびっくりしながらすれ違う。

2007/09/17 誰かに看取られる

月曜日。


朝起きて、ゆうべ食べ損ねた夕食を作る。
牛肉でホイコーロー。なかなか美味しい。


昼過ぎ。
引渡しのためバスに乗って旧居へ。
カギを返すからついでに立ち会って敷金返還してくれと大家に伝えておいた。
初めて会う、初老のおじさん。


部屋見てもらってカギ渡して敷金もらう。


「ここは7部屋あるけどね。お宅の部屋がね、一番広くて一番安かったんだよ」
「まあお宅とは今日初めて会ったわけだが、ともすればこうして会うことも無かったわけだな」
「街中で会っても、分からない」
「管理人がね、居なくなっちゃったんだよ。千葉に引っ越しちゃって。それからはね、こうして手入れもされずにね」
「5万のところを2万で、まあ3万管理費ということで貸してたんだ」
「ここを作ったのは真面目な大工だったんだ。でもセンスが無くてね。いや、でも真面目だった」
「不動産屋の○○とは良く話す知り合いでね。お宅に貸すときもまけてくれって言うんで安くしたんだ」
「けど、もう病気で辞めちゃってね」
「今は目黒? さんま祭りは行った?」
「今のところは家賃どれぐらい? そう、出世したんだねえ」
「まあ、もしなにかまた縁があったらね。そんときはまた、よろしく」

20040601

家を出ると、徒歩15秒で商店街がある。戦後に作られ、一時の隆盛は明らかに過去となったさびれゆく商店街だ。

僕が今日その一角にある店に行くと、店は開いてるんだけどなんだか営業していなくてそのかわりに担架があったりした。病人でも出たのかなと思ったら、葬儀だと張り紙がしてある。まわりには家族なのか知り合いなのか数人がその場に立っていて、よく見れば他のお店の人たちもその様子を眺めていた。

ちょうどそのとき流れる音楽は、菊次郎の夏。(脳内ではなく商店街の放送)

この商店街では中核的な店だったので、そこの人が亡くなるというのは、ああなんかひとつの時代が終わったんだろうなと思った。まったく無関係な僕が、それを傍観している。東京半島という時代の終わりも、いつかこうして何処かの誰かに看取られたりするんだろうか。

たとえば、Hさんが50年後にイタリアの路地裏で人知れず病死するとか。それを花束を買いにきた少女が目撃するとか。

いや、よくわかんないな、このたとえは。うん。まあ映画のラスト5分的な映像だなという気持ちでした。


夜、さんまを焼く。

2007/09/16 前世紀的なWeb文化

日曜日。


午前中はアニメーション作り。


お昼。Yくんが荷物回収のため事務所に来る。
ずいぶん久しぶり。駅で待ち合わせてランチ食べてから事務所に向かう。


お互いまあ近況というか、僕のほうの近況となるとどうしてもSLになってきてしまうので
主にそのへんのことを話したりした。
YくんはWeb界隈である程度の人格があるくらいなので、
そのへんスムーズに伝わったりするのかなと思ったけど
意外と、実際何をやってるのかさっぱり分からない、という反応をされて悩む。
うーん、こういう状態で語るとどうにも宗教の勧誘みたいでいやだな…。


話そうとすると、客観的な事実の列挙ではなく、
どうしても主観的な自分にとって良いと思うところ、の列挙になってしまいがち。
まあそっちのほうが話してて楽しいし、
そうした主観で得た情報こそが自分にとっては一番の事実だと思っているし。
特に相手から具体的な質問が無ければ、こういう話ばかりになってしまう。


基本的にうまく伝えられないことばかりだったけど、
「10年前のWeb黎明期の人たちとあの中で再会したりしてる」と言ったら
「ああー、あのへんの人たちはいまそこにいるんだ」という点だけはうまく共有できた感じ。
おたがい、前世紀的なWeb文化が好きなので、
なんとなくあのへんの今のWebには無い感じ、というのを引きずってるのかもしれない。


僕にとって単にひとつの原体験だからあのへんのWeb感覚が好きなのか、
それとも、黎明期としての新しいメディアの新鮮さが好きだったのか。
たぶん両方なんだけど。


SLのような新天地の、特に脱Webブラウザ的なメディアにおいては、
彼らがまだ万人に埋もれることなく認識できる固有の名前を持っていて、
人格というものが、その生成物へと解体されないで維持できている。
文脈が保たれているんだと思う。


ブログがあらゆるものをデータとして解体してきたことは非常に便利だったけど、
やはり僕がWebを特に好きだったのは、人格やその文脈を見ることだったんだと思う。
もちろん今のWebでもそういう見方はぜんぜん可能だけど、
人というものを表すには、なんか、ちょっと、窮屈なのかもしれない。


浅枝さんも言っていたけど、なぜ新しいメディアなのか、という大きな原動力は、
現状のWebに行き詰まりを感じているということ。
ただ別に今のWebが終わるってことじゃないし、webの使い勝手は洗練されてて圧倒的に便利だけど、
それでもここでは表しきれないものを求めるような人たちが、
ちらほらと集まってくる。
僕が面白いと感じているのはなによりそこだと思う。



なーんてことを、語ったり語れなかったりして夕方。
Yくんが帰って、そのまま事務所で作業。


夜。
SLロボ好きの集会に前回作った戦車で顔を出す。
トランスフォーマーの変形ロボ作成コンテストで決勝に進出したNさんなども参加。
このコンテスト決勝進出者は、正統派からネタまでずいぶんレベルが高かった。


http://www.theppc.com/silverscreen/
オリジナルな変形ロボを作って応募してね、っていうことだけど
そんなの玩具会社でもないと現実では難しいし(まあSL的にもかなり難度は高いのだが)
それが海外のコンテストだとなおさら。
けど、こうしてビジュアルな表現のCGMとして活用できているのはずいぶん嬉しい。

こうしたところも現状Webの閉塞感を突破できている一つの例かもしれない。

2007/09/15 世界のどこかはビジネスタイム

土曜日。


家でずっと作業。
ちょっと億劫だったところの調整をし一歩前進。


夜、ごはん食べに行ってその後買い出し。
もう23時をまわっているので深夜営業のスーパーへ。
以前は朝7時から深夜2時までの営業だったはずが、24時間営業になってた。
普通に買い物客がたくさん居る。これは気持ち悪くていいなあ。


コンビニと考えれば全然普通だけど、なんかこう、
スーパー、特に八百屋ってもののイメージというのは昼っぽい気がしてて。
食材を夜中に取り扱う、ってことがちょっと忌憚じみてて。
ハレとケが綯い交ぜになっているというか。
なんかこう夜中の日常生活ってのに憧れがあったんだよなー。


ただ、夜中自体は好きだけど、そこで提供される夜中のサービスってのがあんまり好きじゃなくて。
暗くてよく見えない分、サービスとしてはチープに薄くごまかされちゃってる感じがしていて。
そうしたところで平然と日常営業が行われて、そこに日常的に人が集うのが、なんとまあたくましいというか。


まあ、まさに世界のどこかはビジネスタイム。
この先ネットワークで距離が無くなっていけば、
夜中にあぶれた人々をビジネスタイムの人々が応じてくれるわけよね。
そういう意識があるからこそ、こうした夜中の日常化の断片を面白く見てるのかもなあ。

2007/09/14 いらいら

金曜日。

ランチは、久々のイ・ロッタでマルゲリータ
その後事務所へ行き、IさんとIさんとSさんでミーティング。
作業上いくつか具体的なやり方を教える。
そうした作業に、なんだか一日中いらいら。
ずいぶん素っ気無い対応になってしまった。


たぶん人にものを教えるとき、
具体的な解決策だけを教えるってのは気持ちが悪くて
これはこうなってこうなるからこうなんですよ、
それはそもそもこういう考えで作られているからこうなんですよ、
という成り立ちのところから説明しないと気が済まない。


でもそんなのはそういうのに興味がある人にしか意味が無いし
全部やるには時間が無いし、もっと抽象化すべきだし、
もっと良い伝え方があるはず、自分にはそれができてない、と嫌になって
どうしても気持ちが悪くなる。


そのへん、何か専門的な分野を持っている人だということが目に見えると
お互い抽象化されたレイヤーでポンポンと話が進むのだけれど。
どういった言語なら通じるんだろう、と
相手が何を持っているか見定めることこそが課題か。


ミーティング終えて、相当クラクラきたのか椅子に座ったまま寝る。

起きて夕方からずっと作業。
Iさんは明日から旅行だというのにずいぶん遅くまで付き合わせてしまった。
23時半に終了。中華食べて帰る。