『Melbourne Cup Challenge』デモ版プレイ雑感

ジョッキーレースゲームのデモ版。豪州が舞台というところに気を引かれてプレイしてみた。


メルボルンカップ天皇賞(春)と同じく3200mの長丁場のレース。
ありえないけど日本版として「春天チャレンジ」みたいなゲームにしたらマニアックだな。遺されたマックイーンの仔で天皇賞父子4代制覇を狙うとか。



パドックから馬を選んで乗る。






馬情報の画面数が多い。
血統構成表示まであるので豪州競馬はどんなのが流行ってるんだろうと見てみたら…



うーん、全然知らない血統だ。4代遡っても何系なのかすら分からない…。豪州はそんなに独自の血統体系なのかな。



日本の馬らしい。
うーんこれはやっぱり架空の血統ってことか。ちょっと残念。何頭か名前を検索してみたけど全く出てこなかった。
となると、この血統表って競馬としての情報量が全くゼロなんだなあ。
まあ割り切ってるというか。


ただ、先祖の馬はこの画面でカーソル選択することで現役馬同様のステータスを見ることができる。ああこれはいい感じかも。架空ならではというか(現実だと先祖までステータス化するのが面倒そうなので)、どうしても先祖の馬って血統表的に繁殖馬としてのデータ認識だけど、その現役時代を認識した上で血統表を捉えると一段深い意味づけになってくるので。

あと細かいけど、父母の顔アイコンがあるのはちょっといいなあ。血統表って文字だけのデータになっちゃうけど、そこに父と母という生物感を演出されると、そこから構成された仔がデータでなくまずは生物なんだなっていうか。


東京競馬場。PGR3の新宿ステージみたいなノリかな。まあ単なるコースの一つだけど、こういう感覚で日本競馬を見れるのはちょっと新鮮。


Frankieって誰かと思ったらデットーリらしい。へー。

ランフランコ・デットーリ - Wikipedia

有名人が起用されるだけで『ジーコサッカー』っぽい不安感がこみ上げてくるわけだけど、ジョッキーゲームとしてはまあフツーというかシンプルというかライトというか、まあこんなもんっちゃこんなもんだし、こんなもんくらいがいいんですよ!という囁きや自戒さえも勝手に意識してしまう。

ゲーム感覚としては一番初めの『ギャロップレーサー』くらいかな。あれは初期作でも既に十分に要素が詰め込まれてたけど、その後のシリーズの盛り立て方から振り返ると、今となってはいささかの寂しさも感じるところなので。

で、あちらがグルーヴ感を主軸に要素を増やしていったのに対し、こちらは淡々と実況を聞きながら仕事する感じ。この実況音声は自分にとってはネイティヴではないので自然なんだか不自然なんだか良く分からない。でもまあ少なくとも「不自然だと判別することが不可能」であるから不自然に聞こえるストレスが無いわけで、なんとなく海外競馬っぽい感覚が味わえるのはなかなかいい感じに思えた。

レース観戦をキャプチャ。最大では24頭立て、かな?
日本の現代競馬だと18頭立てだから、頭数多いだけでちょっと圧巻。…うーん意外とそうでもないか。まあ最初のゲートが長くて異様な感じ。


優駿牝馬|1985年05月19日|レース|Um@SQL

そういう意味ではノアノハコブネオークスなんかは印象的で、28頭立てで最後方から追い込んでくるのは現代日本の競馬感覚とはずいぶん違うし、ああいう形の昭和的な競馬感っていうのをどこかに追求したいと思ってた。なんというか一強皆弱的な構図の中で退けるか奪われるかといった格闘感溢れる競馬というんだろうか。平等にデータ化された現代競馬は冷静なギャンブルとして面白いし、故にゲームにしやすいのだけれど、それとは違った形の場の空気で作り上げていくような駆け引き感覚というものをこれだけ高度になったゲームにおいて見てみたい・理解してみたい気持ちがある。

…となるとじゃあマルチプレイで、みたいなのはあんまり考えたくないんだけど。なんだろな、ゲームというものが事象を何らかの制限や規格に落とし込んでいくところで零れ落ちてしまうもの。外ラチ沿いを走るシンザンとか、もう絶対に届かないプリティキャストとか。だからといってそれを再現すべくイベント化するというのも貧しいわけで、うーん、まあ。あれか。つまり、バランス調整しすぎた格闘ゲーム感が強いのかな。足が遅いキャラは強力な掴み技を持ってるとか、攻撃力低いキャラは飛び道具があるとか。デメリットの陰にメリット有り、メリットの陰にデメリット有りき、といった感覚。そういうのが当たり前になっているのは平等なゲーム感覚であるけれど、どこかそんな文法を無視した不平等なゲーム感覚というものに身を浸してみたいという想いはこのごろ強い。

まあそれはただの現状のカウンターに過ぎないかもしれないけど。自分がマルチプレイではなくシングルプレイを追求したいと思っているのもそうした「平等こそ正義」を前提のデザインに縛られなくていいというところがあるかなあ。マルチはとにかく平等の協議と維持にコストがかかるわけで、そこを協議していくところが価値あるところではあるけれど、現実と違って構造上デザイナーの支配下にあるプレイヤーだけでは不可能だし、そうこうしているうちにゲームというものが失われてしまう、ゲームがコミュニケーションにへりくだってしまう。協議をするプレイヤーはデザイナーになる必要がある。それができるのは今のところシングルプレイでMODという感じになってるわけだけど、いずれマルチにおいてもプレイヤーとデザイナーがシームレスになるプレイ意識が、なにかしらの技術革新で起こったりするのかもしれない。そのときこそ、平等と不平等というものが価値ある取り組み対象になったりするんじゃないかなあ。


…あー、全く話がずれた。

まあともかく海外競馬だともっと格闘感ある競馬なんじゃない? というのがなんとなく漠然と勝手に思っているところで、多頭数はステキだなと思った。


先行抜け出して勝利のシーン。

特に4角でムチ入れたとたん急加速するのがゲーム的で面白い。そのへんはギャロップレーサーでも十分にプレイしてきたけど、こういうのって映像が写実的になるほど、(プレイヤーが認識して制御している)ゲーム的な要素部分が浮き彫りにされて嬉しく感じるのかなあ。あーここを動かしてるんだよ、こんなに(写実)世界に影響を与えているんだよ、と。

タイムは芝2500mで2分25秒とすごくいい加減。実際はたぶん2分35〜40秒くらいかかるだろうからどう考えても速過ぎる…、なんてのはまあどうでもいいわけで。血統自体が架空だから、タイムなども含めて全体的に架空。

操作時の画面はこんな感じ。

直線に入ると勝手にジョッキーが馬をしごいて追うモードになるので、プレイヤーはムチを入れるだけかな。このへんは自分の手で追ったほうが面倒だけど面倒なぶんだけアクション感があるはずだし、突き放した後は追わずに「持ったまま」の勝利を演出するためには妨げになってしまうので残念なところかも。

しかし、なんかまあそういうのを残念に思うたびに、ライト化という正義警察の目を自分で勝手に感じていて、なるべくそんな感情を出さないように呑み込んでいくのは、どうにも苦いし、しょっぱい。



まあとにかくまあジョッキーゲームとしてフツーというか、スタンダードと言えるジョッキーゲームというのもギャロップレーサーぐらいしか認識してないけど。これの場合、オリンピックスポーツのような感覚もあるかなあ。単にスーパーの出し方が国際スポーツ的な感じなのかもだけど。まあその手の時事ゲー的なヌルさも含めて。(というか、来週がメルボルンカップらしいからホントに時事ゲーなのか)

あとベットするだけの観戦モードがあるんだし、スタンドで観戦したいんだよなあ。そのへん技術的に出来ないのか、やっても面白くないのか。まあたぶん後者っぽいけど。スタンド歩いて位置取り決めて、カメラを動かして見てみたい。グラフィックなんて飾りだけど、このごろのOblivionとかCompany of Heroesみたいな圧倒されるグラフィック技術の上ではそうした観戦も成り立つんじゃないかと思う。って、思うだけなのは勝手だけど。

あと物理の入れどころかな。見ていて楽しいのはグラフィックの面が大きいけど、そこに予測や変化を与える物理こそ重要だし、せっかくのグラフィックがワンパターンに留まらないようにする効率の上でも物理的なゆらぎが欲しいところ。格闘感という意識で、馬体の接触が熱いゲームとか(やりすぎると別物だけど)、重馬場で飛び散る泥を被ったりとか、坂の上り下り運動とか。スピードやスタミナという従来の要素だけでなく、馬群を制すフィジカルの強い馬を見てみたい。


http://jra-mylife.jp/top.html

↑このサイトのスライドショーみたいな感じで、ヨーロッパのターフの上で馬が走ってて、しっかりHDRが効いていて…!、みたいなのだったらすごいなあ。まあすごいね。


そういえばこのゲームはグラフィックが簡素なんで60fpsで超ぬるぬるだった。フルレート出るゲームは久々かも。コンソール版をメインに作ってるっぽいし、コンソールはとにかく動き重視なんだなあと改めて。とはいえ自分の場合、動きよりグラフィックに傾倒してるから60fpsというのもあんまりありがたみの実感が乏しくて、20fpsくらいでも十分に思えちゃうのはあんまり良くない感覚なんかな。

追記(2006/11/07)

今年のメルボルンカップが今日開催されたそうで、遠征の日本馬2頭がワンツーするという快挙を達成。しかもゴール前での僅差の競り合いは実に見応えがある内容だった。昨年のアイポッパーは12着と大きく敗れたけど、2年目にして早くもこの結果を収めたのは特に遠征の技術ノウハウがさすがということかな。今後は菊花賞馬が古馬になってからの定番コースとしてこのレースが大きく意識されていきそう。

このご時世に長距離戦は冷遇されがちだけど、歴史あるレースということでの国民的な盛り上がりがすごい。オセアニア最高賞金額競走、そして競馬開催のため祝日にしてるというのもずいぶん意識が違う。このゲームがなんでメルボルンカップという名前を冠しているかもなるほどそういう背景だったのかとようやく実感した。

レース前のパレード。
なんかいいなあ、こういうの。


これまで長距離ホースの御用達として、カドラン賞(芝4000m)やメルボルンカップ(芝3200m)といったものを、自分としてはただのデータとしてしか見てなかったけど、なるほどいろんな競馬があるんだなあ。スポーツライクというか、お祭り意識というか。なんとなくジブリ映画で描写されるファンタジー的なパレード感を想起させられた。いや、うーん、パレードがファンタジーと感じられること自体がアレか。

日本だとそういうものって何があるんだろう。日本ダービー有馬記念はそれなりの知名度だけど、あくまで競馬の中の話で、競馬自体にそれほどの意識は無いはず。国技クラスであるかどうかということかな。とはいえ相撲でそんな盛り上がることも無く、まあ現状の盛り上がり方ではサッカーが一番ということだろうけど。うーんファンタジーか。

メルボルンカップの公式ページ。

メルボルンの新聞サイト。
昨年まで3連覇を成し遂げた女傑 Makybe Diva“ディーヴァ”の写真。3つのカップが置いてある構図がかっこいいなー。偉業にも関わらず無造作な置き加減とか、それを成し遂げた本人の「なにこれ食えるの?」みたいな超然とした態度っぷりとか(まあ馬だから当たり前なんだけど)。