DSL


DS Liteがいまだに手に入りづらいということを知って驚いたのがひと月ほど前。それから機をうかがい続けて、ようやくこの週末の朝一に新宿行って購入した。店内は常時100人ほどの行列が続いてたのだからえらいもんだ。

DSをプレイすること自体は事務所に行けばできたので特にこれまで買う必要が無かったのだけれど、親にあげる用ということでここにきてようやく初めてアイテムとしてのDSを意識した。マイ・ファースト・コンタクト。あー改めて欲しいなーこれ。


それにしてもゲーム。これが単にゲームという文脈だとやっぱり非常に縛りが強すぎる。

そもそも親がゲームやりたいとか、親にゲームやってもらいたいとかそういう意識はあまり持っておらず、この先の生活的にデジタルガジェット慣れして欲しいというのが第一の目的になっていて、やはりそういう意味での作りはえらいなあと悔しくも感心してしまった。表面的にはファミリーでゲームなんて暖かいビジョンだけど、そうした意識の無いドライな感覚というのが需要の実体なのかもと思う。たぶん似たような人がいっぱいいて、自分もそうした社会の中の消費者に落としこめられて、そんな消費者行動がすごい健全というか、アイテム感、ギフト感としてのDS。子供のクリスマスプレゼントに悩む親御さんにとってのおもちゃ屋という存在はやっぱり頼りがいがある感じ。

自分で何かを心を込めて手作り管理していく余裕なんて限られてて、そういうのがそろそろつらくなってきて、金で解決できるなら解決したい、社会をもっと頼りたいという意識。それが社会にとって合理的にめぐる健全さ。コストの最適化。DSというアイテムは自分にとって初めてそういうものになった。任天堂に丸投げアウトソーシング



ソフトについては普通のゲームが4000円、実用モノが3000円、そして脳トレ教授は特に2000円となにより価格が安いんだなーと初めて実感。家帰ってからAmazonでさらにソフト5本買う。昔ゲームボーイが出始めた頃も、なんか手当たり次第買ってたことを思い出す。ファミコンスーパーファミコンのソフトが5000円超のところに2000円くらいというのはずいぶん敷居が低かった。

特に関係が無い写真