妄想とモチベーションとフィードバックと

プロトタイプを数多く作り、その中で面白そうなのだけを見繕い、厳選されたものだけをちゃんとしたゲームに仕立てていく。こうすればグソゲーを作ることもなく面白いゲームを量産することができる。すばらしい。

みたいな方法論はよく言われているんだけど、これも実際は難しいよね。

ゲームってのは絵なり音なりで体験をブーストすることで初めて面白くなることが多くて、そのコア部分だけを切り出して遊んでみてもいまいちなことがある。ジオメトリウォーズからパーティクルとBGMとSEを剥いで、敵のバリエーションが3種類くらいで作ったプロトタイプとか、多分あんまり面白くなさそう。

なのでプロトタイプで遊ぶときは、そこにかっこいいエフェクトや音がのっていることを妄想しながら遊ぶという能力が必要とされる。私はまだ音ができてない段階で自作ゲームをテストプレイする場合でも、なんらかのBGMをかけて遊ぶことが多い。そうしないとなんかモチベーションが落ちるんだよね。

あと、神は細部に宿る、ではないが、ゲームの出来不出来ってのは最終的なちょっとした調整で変わってしまうことも多くて、これはプロトタイプ時点ではなんとも計りがたいってのも問題だ。

  • 「そうしないとなんかモチベーションが落ちる」ことは確かで、むしろちょっと具体的なイメージを載せることでモチベーションがグンと上がってしまう感覚に、ああぜんぜんこの地点、この先まで妄想できてなかったんだなと悔しくなってしまう。
  • そこまで(確かな予測をして)描くのが企画の仕事か。予測でなく具体的に示せるのだろうか。
  • 多かれ少なかれ予測を期待するとして、その量・質を正確に見積もれることが大事か。そしてそれを説明できること、説得すること。(自分自身も含め)
  • しかし妄想の先の未知の部分の発見、獲得は確実に嬉しい。
  • 現金だなーっていうか
  • パラメータ調整とかグラフィックとか、そんなん別に後でやりゃいいのに、全然後回しにできない。
  • メタ的に言いたくないけど、ゲームを作る過程自体がゲーム…(とか言いたくないな。言葉のノイズが多すぎる)。
  • 作業でない仕事というのは自分の妄想を超えて獲得することか。そのコントロールが全て自分の妄想下にあるようでは、作業か。
  • 社会的に求められるものと、個人的に求めるもの。
  • 後学のためにインターフェースたくさん作る!と言って始めたプロトタイプ作り。(インターフェースという定義は正確でないかも)
  • インターフェース100とか言っておきながら1本しかやってない。
  • いやべつに100という数字に意味は無かったけど。
  • 僕自身の行動力を棚にあげて話を進めるとして、なぜ1本しかやってないのか
  • インターフェースに絞るのはストイックか。Flash畑のひとならむしろ大好きというか。アートの領域か。(アートをバカにするな)
  • ゲーム的な駆り立てられるモチベーションはまた別種なのか。結局コスティキャン的な原理を求めてしまうのか。

制作進行上の対話(画面イメージの表示、アルゴリズムの稼動、による作り手へのフィードバック)によって企画段階で思いつかなかったアイデアがいろいろ出てくる。