5人目のビートルズ問題

Billy Prestonビリー・プレストン

米キーボード奏者ビリー・プレストン氏死去=「5人目のビートルズメンバー」

 ビリー・プレストン氏(米キーボード奏者)6日、腎不全のためアリゾナ州内の病院で死去、59歳。昨年11月から昏睡(こんすい)状態が続いていた。
 ビートルズの大ヒットアルバム「アビイ・ロード」「レット・イット・ビー」の録音に加わり、「5人目のビートルズメンバー」とも呼ばれた。
 ローリングストーンズの作品にも協力。また、シンガー・ソングライターとして「ナッシング・フロム・ナッシング」などのヒット曲がある。


まとめとこう。

George Martin(ジョージ・マーティン

ジョージ・マーティン卿(Sir Big George Martin, 1926年1月3日 - )は、音楽プロデューサー。

ビートルズのほとんどの作品のプロデューサーを務めたことから"5人目のビートルズ"ともいわれる。

Stuart Sutcliffe(スチュアート・サトクリフ

スチュアート・ファーガソン・ヴィクター・サトクリフ(Stuart Fergusson Victor Sutcliffe 1940年6月23日 - 1962年4月10日)はビートルズの元ベーシスト。本業は画家。通称はスチュ。しばしば、『5人目のビートルズ』と呼ばれる。

Brian Epstein(ブライアン・エプスタイン)

1962年、いまだリヴァプールのアマチュア・バンドであったビートルズを見いだし、彼らをスターダムへ導いたのは"5人目のビートルズ"とも呼ばれた、マネージャーのブライアン=エプスタインであった。エプスタインはビートルズのメンバーの絶大な信頼を受け、彼らの活動のすべてをコントロールしていた。しかし、"アイドル"を脱し、"アーティスト"へと変化を遂げつつあった彼らにとって、保守的なエプスタインは次第に煙たい存在となりつつあった。ところがちょうどそんな1967年8月27日、彼らに巨大な影響力を持ちつつあったインド人導師マハリシ=マヘシュ=ヨギの講義受講中ビートルズのもとに、エプスタイン急死の報が届いた。睡眠薬中毒であった。

George Best(ジョージ・ベスト

ジョージ・ベストは、日本では、一部のサッカー・ファンにしか知られていないようですが、1960年代にマンチェスター・ユナイテッドで活躍した選手で、サッカーの実力だけでなく、そのポップ・スターのようなルックスから、ものすごい人気のあったプレイヤーです。いまのデイビッド・ベッカムと同じか、それ以上の人気がありました。

そして、彼の長髪は、その当時、同じように人気のあったビートルズを彷彿とさせるため、「5人目のビートルズ」とも言われていました。

Mike Mizno(水野晴郎

30 名前: ホワイトアルバムさん 投稿日: 02/09/27 16:00 ID:???

水野晴郎
「はい皆様こんばんは。水曜ロードショー降板以来、長のご無沙汰です。
 さて、何故私が5人目のビートルかと言いますと、『ビートルズがやって来た
 ヤァ!ヤァ!ヤァ!』という邦題をつけたのは、誰あろうこの私なんですね。
 一生私の自慢の種ですよ、まったくね。 
 もし、同じ映画解説でも、金曜日の高嶋忠夫さんがつけてたら、『ビートルズ
 やって来た イエィ!イエィ!イエィ!』にされてたとこですよ。こわいですねェ。
 実は今、日曜洋画劇場の亡き淀川さんの後釜、密かに狙ってるんですよ。
 では、うまくいったら、またお会いしましょう!
 いやあ、映画って本当にいいものですね。サイナラ、サイナラ、サイナラ」



31 名前: ホワイトアルバムさん 投稿日: 02/09/27 16:12 ID:???

>>30
少しも面白くないから、シリーズ化するのはやめろ。

The Fifth Beatle

あ、ここにまとめられているようだ。

ベーコン数、n人目のビートルズ

映画好きのコミュニティーにおける「ベーコン数」という概念が知られている。これは、ある俳優/女優が直接ケビン・ベーコンと共演したことがあればベーコン数1、自分と共演した人がケビン・ベーコンと共演していればベーコン数2というように、ケビン・ベーコンとの共演関係の近さを測るためのものである。

「俺も」「俺も!」「じゃあ俺も」

誰しも10人目のビートルズくらいには入っているのかも。