ゲームの時間数
- コンピューターゲームの価値を定量化する試み。…自体の是非は置いといて。
- その定量化する試みの一つ、「プレイ時間数」が意識されたのはどのへんだろう。
- ゲームにおけるタイマー。
- ざっくりと「セーブできる/できない」で区切ると、プレイ時間数は異なった意味を持つのかな
- セーブできないゲームについているタイマーは積み重ならない。制限時間の意識が強い。
- 時間というクリア目標にプレイヤーが迫られる設計。というのはコストと時間の取引、アーケードゲームプレイの意識かな。(今となってはアーケードでもセーブできるけど。それ以前のつもりで)
- そのへん家庭用機になってコストと時間が一度崩れて、制限時間の意義も無くなって、長く遊べるほうが嬉しい。というあたりの、時間数嬉しい感覚、時間数信仰があるかな。
- で。セーブできるゲーム、になって意識されるのはアドベンチャー、RPGかなあ。
RPGにプレイ時間タイマーが付き始めたのはどういう意図だったんだろう
- 以前、その意図について考えていて、ああそういうことかって思った気がするんだけどメモし忘れた。もう一度考えてみよう。
- 時間数というシステム的な要素意識ではPCゲームの流れだったりもするのかな?(完全に憶測)
- どのへんだろうな。ざっくりスクウェア系のRPGあたりからプレイ時間タイマーが付き始めたような印象なんだけど。
- ゲームプレイ中に表示されていた? いや、最初はセーブファイルのタイムスタンプからかな?
- ああ、そうか。あれか。もともとの意図は、「複数セーブデータの差異化」のためのキーとしてプレイ時間数があったんだろうなあって考えてた。タイムスタンプだ。
- ドラクエだと名前とレベルか。それはまああんまりパーティが入れ替わらないから成り立ってたのかな。
- 時系列をキーにするのは一番分かりやすい。AのデータはBのデータより3時間プレイを進めている、とか。
- しかし多分そのような意図、設計が、文法的に誤解されてきたのかなという感触。
- プレイを終えてみて、50時間。びっくりする。映画なら何本見れたとか、定量化されたデータで他メディアとの比較を行ってしまう。
- ゲーム内においての比較も進む。前作が20時間なら今作は倍のボリュームの40時間でとか。
- あー、ボリュームか。ボリュームって言葉なら正義かな。
- じゃあ時間数は? たぶんボリュームと時間数は同義だった感じがする。増えれば嬉しい要素。
- でも今となっては、まあ時間数信仰もあるけれど、否定派が多いかな。まあ年齢が高くなると時間コストが高いし。そういう意味でボリュームと時間数は意味が離れてきた感じがする。
- 初期の頃は、セーブできないゲーム感覚でプレイ時間の長さを正義としていたのかな。ゲーム中の時間要素は制限でしかなかったのに、それをいくらでも積み重ねられるようになって嬉しいと感じる。
時間数の功罪
- …って言っちゃっていいのかな。あんまり罪とか言いたくも思いたくも無いけど。どうも時間数という定量化意識がゲーム話の上で広く根深くなってるのはどうなんだろうなあって。
- どうなんだろうって、どうなんだ。
- あー、なんだろな。時間数の出自なんかもここで僕が推測で思いを巡らせてるだけにすぎなくて、そのへんゲーム要素意識としては曖昧で、わりと意味が検討されてないままに、その都度、時間数は正義だ、時間数は悪だ、というアレかなあ。
- いやいや、正義とか悪とかそういう曖昧な言葉もやめよう。無し無し。
- えーと。
- ゲームと時間。そのへんもっとレベルデザイン的な観点から考えるべきなのかな。
- 単純に言えば、短い:難しい←→長い:易しい。かな。ああ、時間数=スコア型だと逆になるけど。
- 難度と時間は結びつくけど、時間と面白さは分けたほうがいいという話かな。
- うーん。どうだろな。そうとも言い切れないあたりが時間の曖昧さなのか。
時間と面白さ
- 体験メディア、体験行動としては時間をかけたほうが深い価値になりそう。
- だから「費やした時間」が「価値」に変換される、というのは前提としてあるか。
- あー、いや、逆か。「価値」を得るためには「時間を費やす」ことが必要になる、というほうが正確かな。
- 前者的な意識で設計すると、「じゃあ時間数を増やせば価値が増大する」という認識になるあたりがグヘーと感じるのか。
- やっぱりたぶんそこは価値を先に置くべきだろうという意識が僕はあるのかな。
- ゲームの価値。体験とは、データに対する仮定と検証かな。そこに時間がかかる。プレイヤーがデータ、意味を咀嚼して、吸収・消化するのには時間が必要になる。
- 時間という資源は対象を価値に変換することが出来る酵素のような働きというか。
- うーん。まあ時間を資源的なモノとして捉えること自体がちょっと哲学的なアレになるか。
- 時間を使わずに体験ができるとしたら。時間資源という捉え方から解放されるのか。
- あ、でもゲームが現実よりも優位なところは、それに近いか。体験をブーストして価値を生じさせる装置という一面はあるだろうな。
- にしても、時間数ゼロというわけにはいかないな。体験から価値を発生させて吸収するために必要な時間。それは人間の身体的なところに拠るのかなあ。
- つまりまあ脳科学的な、シナプスが形成されるような働き? 認識は一瞬でなく、あくまで物理的に細胞を作るのに時間がかかるという感じかなあ? たとえコンピュータであっても物理的にディスク書き換えにはいくらかの時間がかかるというような。
- んー。まあ、だから肉体的に時間がかかるという点で時間を費やすことは価値のあるものだけど、あくまでそれは必要条件であって、十分条件ではないという話か。な。