スタジオジブリ『ゲド戦記』観賞

観てきた。
ちょうど3巻まで朗読し終えたところで出発。初回上映は監督挨拶などもあったようで予約が遅れたこともあり取れなかった。端っこの席なら取れたけど。あきらめてその次の27:15の回でほぼど真ん中の席。観終えたら朝だった。清々しい。

前提事項

  • 吾朗監督の日誌はリアルタイムに全部読んでた。
  • だからまあ作品の出来は置いといて楽しめるだろうなと思った。
  • ここ最近なにかとゲド(原作)の話ばかりしていた。
  • かなり楽しみにしていた。
  • 自分はまだ3巻までしか読んでない。
  • 「戦記というタイトルだから戦乱モノを期待したのに!」「宮崎親子」とかいう意見で盛り上がるのとかはホントどうでもいい。ノイズにもならない。
  • でも超映画批評で35点というのは、人格への信頼感があったのでその点数のリアルさによって観賞前に初めてショックを受けた。


▼以下、ネタバレを含む感想。










結論から言えば確かに35点だなあと思った。
いや、いきなり結論ゆーな。

ええと。もう一度考えよう。

個人的に

  • はてみ丸萌え。
  • 海萌え。

バランス問題

  • メリハリ強いなあ。展開とか、空気とか。
  • 「映画でやるべき物」ということの意識?
  • たとえば、主題歌が良過ぎることとか。CDやエンディングなら良いけど劇中だと浮く。
  • そういったものを含めてどうもバランス悪い。
  • でもこのバランスの悪さが破壊的で、なにかゾクゾクさせられるような気もする。
  • 単純に経験不足から来るものだろうとは思うけど。バランス取りのおぼっちゃんアニメよりはたぶん良かったと思う。
  • これが志向した「力強さ」ということかもなあ。

ジブリ絵問題

原作『ゲド戦記』では、
「言葉」がとても重要な位置を占めています。
原作の良さを生かすためには、映画においても、
登場人物たちが語る「言葉」を大切にしなければなりません。
だったらなおさら、絵をシンプルにした方がよいのではないか。
それによって、言葉がより力強く伝わるのではないか、
そう考えたのです。

たとえば、『太陽の王子 ホルスの大冒険』は40年近く前の作品で、
今観ればシンプルなのですが、その分力強く、
現在のアニメーションと比べて、
キャラクター、美術に何の遜色もありません。
単純に昔に戻ればいいということではありませんが、
絵がシンプルだからといって、リアリティが失われるかというと、
決してそんなことはないはずです。

シンプルな絵で、
アニメーション本来の魅力を取り戻したい。
それが、まず私が考えていたことです。

http://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000323.html

つまり、派手で装飾的になってきた美術に、
もう一度、簡素で力強い荘厳さ復活させよう、
それが新古典主義の理念です。
http://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000324.html

自分自身のアニメーションの好みと『ゲド戦記』という題材から、
「シンプルな絵で、力強い言葉と生き生きとした動き」
を目標に置いたのです。
http://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000326.html

四苦八苦した末にたどり着いたのは、
「アニメーションとは絵なのだから、
絵として描いたらいいんじゃないか」
ということです。

きっかけは準備段階で、
終末観を描いた中近世の西欧絵画を参考にしていたことでした。
油絵やテンペラ画のように、筆のタッチを見せたり、
大胆な色づかいを指向することで、
写真のような写実性に縛られず、
豊かな画面を成立させることができるのではないか、
と考えたのです。

その考え方が、結果的に、
先日書いた「新古典主義」に結びついていくのです。
http://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000337.html

  • 言葉が大事、それは好き。原作読んでる分には対話感も十分。「言葉のためにシンプルな絵」は納得。
  • けど、「豊かな動きのためにシンプルな絵」は派手なシーンになるにつれ上手く行ってない感じ。
  • 地味で落ち着いた「豊かな動き」は確かにあるんだけど、要所(特にラスト)では「派手な動き」を志向して、すっぽ抜けちゃってる感じ。
  • つまり具体的な話をすると、強い動きのあるシーンにおいてアクションや造形が、6,70年代っぽくて、言いたくないけど、端的に、ダサい。あえて情緒のある古臭さを選択しているのに、なにか現代的な(ハリウッド的な?)強いアクションをやろうとするのでギャップがきつい。非常にチープに感じられる。見ていてつらかった。
  • アニメを絵で判断したくないけど、絵で納得させようと迫ってくるシーンが多い。ジブリの自信か。説得力を何をもって達成するか。
  • 結局根深いのはジブリ絵的なアクションエンターテインメントと、会話重視のゲド戦記というテーマが合わないということだろうか?

テーマ問題

  • 1巻を踏まえて2巻、2巻を踏まえて3巻。なのだから、3巻を扱うということは結局全部のテーマをやらなくちゃいけないということか。
  • 「ことばは沈黙に、光は闇に、生は死の中にこそあるものなれ。飛翔せるタカの、虚空にこそ輝ける如くに」(エアの創造)
  • 影も闇も死も丁寧に全部やってた。もちろん詰め込み過ぎとは言えるだろうけど、確かに全ては繋がっていて、どれも削れないと思う。
  • キャラクターもなんかオールキャスト。どうにも豪華。ドリーム編。ちょっとクラクラする。同人誌的というか。
  • 論理的には納得いった。ただ…。ただ、なんだ? なんだろう。
  • 舞台がミクロすぎたのか。1巻や3巻のようなアースシー(特に海)を巡る苦労がないと語れない感じもする。最初から全て集結しちゃってる。たどり着くべき場所にたどり着いたところから描いているんだけど、旅をしてたどり着いたという感じは無く最初から全部ご近所という感じになってて、そのせいでなかなかうまく呑み込めない。世界の均衡を意識しづらい。
  • フィジカルな体験理解獲得じゃなくて頭の中の理解感か。映画でやるべきは体験か。

ごく個人的には、8割方海上に揺られてだらだらしていても良かった。…わけないか。でも実際自分の心のゲド戦記は、海が多くを占めてる。はてみ丸が好きだ。でもジブリ的にはそれがヤックルなんだよな。ヤックルも好きだけど。

魔法問題

  • 真(まこと)の名の重要さは魔法の根幹、ひいてはアースシー全ての根幹で、映画内でも大きく扱われてるけど、その肝要な導入エピソードを一歩すっ飛ばしてるような気がしてならなかった。
  • 導入は、確かゲドが会話で語っただけ。その場で動物や自然を操るなりして、真の名の意味を実演したら良かったのにと思った。
  • 帰りがけに「真の名って影の名前? 光の名前と影の名前があるの?」という感想を言ってる人たちが居た。たしかに。そう見える。

その他雑感

  • 35点がリアルなのは、たしかに35点分の重みはあるなということ。決して期待外れでも低過ぎるわけでもない。
  • 3巻までしか読んでないので、4巻以降も読まないとまだ真意が分からないか。
  • 声に関してはそんな問題無いように思う。別にドラマを生きてるわけじゃない。日常的な声だ。もっともそう感じるのは、自分が原作を朗読しながら読んでたからそれよりはずっと上手いという感覚かも。


http://d.hatena.ne.jp/tuckf/20060729/1154169234

好き嫌いで問われれば好き、でも映画としてはあまり評価できない、というのが正直なところ。

これはこれで好きなんですけど、それで全肯定は出来ません。

ああ、この感想はしっくりくるなあ。点数とかじゃなくて、こういう物言いがしたかった。