ほんとうにワクワクすること

導入として心動かされるのはなんだろう。
「こういうことができますよ」ではなく、ただ素材としてのルール群を見せつけられて、そのひとつひとつの意味を紐解き、出来得ることを考える、というのが自主的な心の運びだろうか。

「こういうことができます」は確かに親切だし、もうそれ無くてはありえないほど必要で慣れきってしまっているけれど、久々にありのままのルールに取り組もうと思ったらちょっとゾクリとした。ような気がした。

イメージが定められていないのが良いのだろうか。与えられるイメージを再現するのではなく、初めにその場で強烈にFREEであること。枠組みが見えないだけにどんなものも恐れなくイメージできる。

しかし大抵それは経験によって、枠組み内部では実現できないということを知っており、失望しないように初めから安心な枠組み内で満たそうとする。それはリスクなく、思ったとおり満足する。ただ、枠組みの限界はありながらもそうした枠組みを見えなくすることで、なにか強烈に枠組み外へと心を馳せる動きが出てくるのではないかという気がする。結果としてそれが実現できなくても、イメージを形作ることそれ自体の満足の質が高く、それこそが主であり、出力結果はそれを支えるフィードバックに過ぎないというか。