Oblivion死狂い日記
死フォト
Oblivionの何が楽しいかといえば、死に様。いきなりそれを挙げるのもどうかと思うけど、まあPostal2より健全な形でラグドール分が摂取できるのは心が荒まなくて良いと思う。デフォルトでは死後4秒でロード画面に遷移してしまうという仕様なので実にもったいない。死に様ファンなら是非MODで延長して堪能していきたい。
手すりにもたれかかって息絶える兵士。画になる。
階段でのバトルにて。事が終わった後の余韻がステキ。
矢に撃たれて。
無様に。
階段はやっぱり良い。死に役者の花舞台だ。
ガキーン!
Scale縮小したまま死んだら、なんだかヒョロヒョロに。
なんでこんなに死ぬかというと
Oblivionで意外だったのは、プレイヤーがちょっと力をつけてくるとムズムズといたずらにその力を市民に対して発揮したくなるという駆り立てられ方。おかげでずいぶんと衛兵に始末された。なんかこのへんはずいぶんGTAに近い感じがする。ああそうだ、ポリス機構がGTAそのものなんだよなあ(手配度上昇で殺意丸出しの中世ポリスが駆けつけてくる。シンプルなルール)。これはずいぶん馬鹿馬鹿しくて面白い。
アクション的にチャンバラ感が高いのも誘惑度高いのかな。ついつい試し斬りをしたくなるのはアクションの手触り、剣戟の間が良くできてるからだろうなあ。特に武器装備/解除の切り替えボタンがあるのが良い。普段は武器を収めて歩いていても、ちょっとした弾みで鞘に収めた剣をスラリと取り出してしまったら…。一度抜いてしまった剣、もうそのままでは引っ込みがつかない戦意高揚感がある。やっぱりこの「スラ〜リ」が非常に気持ちいい。チャキッ!じゃなくてスラ〜リとした間が絶妙。バッサリ斬るとかよりも、ここを楽しみたかったんだなあ。それと剣に付着する血糊なんかも意外に重要なフィードバックなんだなってプレイしていて気づかされた。一人称視点も三人称視点も自在のゲームゆえの強みかな。
あとMOD作ったりデバッグコマンド打って調整したりしてると、数値の万能感が幸せで(「こうげきりょく255」…すごい!的な)、律儀にRPGを演じる一方で、数値の暴力を箱庭物理に反映させて確認したくなる。なんというか勇者であり魔王だ。プレイヤーキャラを操作するプレイヤー自身が絶対的に力ある者なので、プレイヤーキャラとして力の無い状態ですら楽しめる余裕というか。余裕ゆえに死に様も楽しめる。プレイヤーキャラ=勇者、プレイヤー=魔王という感じか。市民さんたちはその戦いの狭間に巻き込まれてる形かな。まあなんにしろ両面的な視点が前提にあることで、ヒーロー人生、ヒール人生といった一方向的なゲームどん詰まり感は解消され、楽しめる。のかもしれない。