2007/09/16 前世紀的なWeb文化

日曜日。


午前中はアニメーション作り。


お昼。Yくんが荷物回収のため事務所に来る。
ずいぶん久しぶり。駅で待ち合わせてランチ食べてから事務所に向かう。


お互いまあ近況というか、僕のほうの近況となるとどうしてもSLになってきてしまうので
主にそのへんのことを話したりした。
YくんはWeb界隈である程度の人格があるくらいなので、
そのへんスムーズに伝わったりするのかなと思ったけど
意外と、実際何をやってるのかさっぱり分からない、という反応をされて悩む。
うーん、こういう状態で語るとどうにも宗教の勧誘みたいでいやだな…。


話そうとすると、客観的な事実の列挙ではなく、
どうしても主観的な自分にとって良いと思うところ、の列挙になってしまいがち。
まあそっちのほうが話してて楽しいし、
そうした主観で得た情報こそが自分にとっては一番の事実だと思っているし。
特に相手から具体的な質問が無ければ、こういう話ばかりになってしまう。


基本的にうまく伝えられないことばかりだったけど、
「10年前のWeb黎明期の人たちとあの中で再会したりしてる」と言ったら
「ああー、あのへんの人たちはいまそこにいるんだ」という点だけはうまく共有できた感じ。
おたがい、前世紀的なWeb文化が好きなので、
なんとなくあのへんの今のWebには無い感じ、というのを引きずってるのかもしれない。


僕にとって単にひとつの原体験だからあのへんのWeb感覚が好きなのか、
それとも、黎明期としての新しいメディアの新鮮さが好きだったのか。
たぶん両方なんだけど。


SLのような新天地の、特に脱Webブラウザ的なメディアにおいては、
彼らがまだ万人に埋もれることなく認識できる固有の名前を持っていて、
人格というものが、その生成物へと解体されないで維持できている。
文脈が保たれているんだと思う。


ブログがあらゆるものをデータとして解体してきたことは非常に便利だったけど、
やはり僕がWebを特に好きだったのは、人格やその文脈を見ることだったんだと思う。
もちろん今のWebでもそういう見方はぜんぜん可能だけど、
人というものを表すには、なんか、ちょっと、窮屈なのかもしれない。


浅枝さんも言っていたけど、なぜ新しいメディアなのか、という大きな原動力は、
現状のWebに行き詰まりを感じているということ。
ただ別に今のWebが終わるってことじゃないし、webの使い勝手は洗練されてて圧倒的に便利だけど、
それでもここでは表しきれないものを求めるような人たちが、
ちらほらと集まってくる。
僕が面白いと感じているのはなによりそこだと思う。



なーんてことを、語ったり語れなかったりして夕方。
Yくんが帰って、そのまま事務所で作業。


夜。
SLロボ好きの集会に前回作った戦車で顔を出す。
トランスフォーマーの変形ロボ作成コンテストで決勝に進出したNさんなども参加。
このコンテスト決勝進出者は、正統派からネタまでずいぶんレベルが高かった。


http://www.theppc.com/silverscreen/
オリジナルな変形ロボを作って応募してね、っていうことだけど
そんなの玩具会社でもないと現実では難しいし(まあSL的にもかなり難度は高いのだが)
それが海外のコンテストだとなおさら。
けど、こうしてビジュアルな表現のCGMとして活用できているのはずいぶん嬉しい。

こうしたところも現状Webの閉塞感を突破できている一つの例かもしれない。