2007/09/17 誰かに看取られる

月曜日。


朝起きて、ゆうべ食べ損ねた夕食を作る。
牛肉でホイコーロー。なかなか美味しい。


昼過ぎ。
引渡しのためバスに乗って旧居へ。
カギを返すからついでに立ち会って敷金返還してくれと大家に伝えておいた。
初めて会う、初老のおじさん。


部屋見てもらってカギ渡して敷金もらう。


「ここは7部屋あるけどね。お宅の部屋がね、一番広くて一番安かったんだよ」
「まあお宅とは今日初めて会ったわけだが、ともすればこうして会うことも無かったわけだな」
「街中で会っても、分からない」
「管理人がね、居なくなっちゃったんだよ。千葉に引っ越しちゃって。それからはね、こうして手入れもされずにね」
「5万のところを2万で、まあ3万管理費ということで貸してたんだ」
「ここを作ったのは真面目な大工だったんだ。でもセンスが無くてね。いや、でも真面目だった」
「不動産屋の○○とは良く話す知り合いでね。お宅に貸すときもまけてくれって言うんで安くしたんだ」
「けど、もう病気で辞めちゃってね」
「今は目黒? さんま祭りは行った?」
「今のところは家賃どれぐらい? そう、出世したんだねえ」
「まあ、もしなにかまた縁があったらね。そんときはまた、よろしく」

20040601

家を出ると、徒歩15秒で商店街がある。戦後に作られ、一時の隆盛は明らかに過去となったさびれゆく商店街だ。

僕が今日その一角にある店に行くと、店は開いてるんだけどなんだか営業していなくてそのかわりに担架があったりした。病人でも出たのかなと思ったら、葬儀だと張り紙がしてある。まわりには家族なのか知り合いなのか数人がその場に立っていて、よく見れば他のお店の人たちもその様子を眺めていた。

ちょうどそのとき流れる音楽は、菊次郎の夏。(脳内ではなく商店街の放送)

この商店街では中核的な店だったので、そこの人が亡くなるというのは、ああなんかひとつの時代が終わったんだろうなと思った。まったく無関係な僕が、それを傍観している。東京半島という時代の終わりも、いつかこうして何処かの誰かに看取られたりするんだろうか。

たとえば、Hさんが50年後にイタリアの路地裏で人知れず病死するとか。それを花束を買いにきた少女が目撃するとか。

いや、よくわかんないな、このたとえは。うん。まあ映画のラスト5分的な映像だなという気持ちでした。


夜、さんまを焼く。