にんげんドキュメント「僕とゲーム戦争」

2004/02/25の手記より


戦場のタクシードライバー

Mさんが来ていたので、つい戦場(Battlefield 1942)をやってしまう。

今日はちょっと趣向変え。銃撃戦をしないプレイをする。いったい銃を使わずどう戦うか? ジープだ。ジープに武装は無い。しかし猛スピードで突っ込めばひき逃げすることはできる。敵陣の真っ只中に飛び込んで行って、止まることなくひき逃げしていく。捨て身で当たれば戦車だって道連れにできる。そんな素敵ジープ。

ふつう操作はマウスとキーボードで行うのだが、ジープ用にゲームパッドのコントロールを割り当てる。パッドを握ればもはやレースゲー。BF1942は歩兵に限らず乗り物の挙動も良く出来ていて、ジープ同士でレースができるほどだ。味方を助手席に乗せて前線に送り出しつつ、敵兵をなぎ倒していく。

兵士ネームは"TAXI DRIVER"。「戦場のタクシードライバー」だ。

うわ、すげーカッコイイ! とMさんと2人で興奮する。戦車砲紙一重でかわし、アサルトの銃撃に耐え、ときには地雷を踏んだり、離陸しようとする飛行機を体当たりで食い止めたり、対戦車兵のロケットランチャーを真正面から喰らったりしつつも、戦場の端から端まで駆け抜ける。誰も追ってこないところまで逃げてから、愛車を修理して再び戦場に突撃する。とにかく止まることは許されない。戦場でブレーキを踏むことは死を意味する。

ジープが壊れて乗り捨てることになっても、決して銃は使わない。戦わない。あくまで自分は運転手。仕事道具は車だけ。新しいジープを手に入れられなければ無残に殺される。その緊張感。

やっているうちに、積極的に助手席に乗ってくれる人とか、前線で降りずに乗りつづけてくれる人がちらほら見受けられた。僕らはチャットを使って会話しないけど、その行動でコミュニケーションする。

人が死ぬレースゲーム

戦場ジープに徹する。こういう遊び方が大好きだ。GTAという車窃盗犯罪ゲームがあるけど、あれもタクシーを運転するとお客を乗せて金を稼ぐプレイができたりする。まんまクレイジータクシーなわけだが、それが妙に面白い。本家とはまた違った面白さがある。

人を殺す、歩行者をひき逃げできる。犯罪ゲームの一つの面白さだ。しかしそれは犯罪ゲームの真価ではないと思う。ひき逃げばっかりするのは表面的な面白さであって、すぐに飽きてしまう。

だが、やり込んでいくと逆に「ゲーム的にひき逃げできるんだけど、ひかないように走る」というストイックなプレイが妙に面白くなってくる。タクシーのプレイは特にそうだ。

裏世界の大ボスに成り上がった主人公でも、ひとたびタクシーに乗り込めば優良タクシードライバー。客好みのカーステレオをかけながら、誰よりも速く送り届ける。歩行者をひくなんてとんでもない。10年間無事故無違反で個人タクシーを開業する、そんなライフプランを思い描きつつ日夜走りつづける。が、急に出てきた歩行者が! うわーひいちゃったよ!! えウソまじでもう警察が!? クソッ! もうこうなったらトコトン逃げてやる! みたいな。失敗=人生の崩壊みたいな、ストーリー性。

レースゲーだけど、人が死ぬというのがポイントなんだろう。戦場でもGTAでも。人をひけば死ぬし、衝突すれば自分も死ぬ。そんな当たり前のことが、レースゲーにはまったくない。無いものとしている。壁にぶつかって車体がへこむとか、そのくらいでレースゲームとしてはすごいと思ってしまう。

あとは自分ルール。自分に見合った枷をつけて制限している。銃を撃たない、人をひかない。それは決してやれないことじゃなくて、やってはいけないとしているだけ。それを遵守すること。場合によっては破ること。その境界でどっちを選択するかを自分に迫る。試して遊ぶ。

僕の終戦(敗戦)記念日

そんなこんなで朝までプレイし続けた。Iさんがやってきたのだがもはや気にしない。気にできない。結局のところ前日の晩から始めて、終わりを迎えたのは朝の10時だった。

ふと我に返る。パッドを置いて、すうーっと深呼吸ひとつ。そして椅子から立ち上がり、Iさんに向き直ってビシッと敬礼した。

「恥ずかしながら、生きて帰って参りました」

そう言ってみて、その台詞がいかに自分の立場を的確に表現しているか分かった。僕は終戦を知らずに戦いつづけていたのだ。

かつてのゲーム少年たちも、ハタチを越えればそのほとんどはゲームを離れ、終戦を迎えるというのに。僕はこの歳になってもまだまだ現役だったわけだ。

グアムで戦後28年間過ごした横井庄一さんについて検索する。「終戦を知らずに過ごしていた」と書いているサイトが多いが、中には「終戦自体は米軍のビラで知っていたが、戦争裁判で処刑されるのを恐れて出て行かなかった」と書いているのもあった。どうだろう。安易で勝手な推測だけど、僕としては後者が真実で、前者はより「いいはなし」に仕立てようとして「そうあってほしい」として広まった話なんじゃないかと思う。グアムだから、けっこう過ごしやすかったんじゃ? とか推測したりすると怒られるだろうか。

まあとにかく。終戦自体は知っていた。それは重要なことだ。

僕のセリフもきっとそうだ。もうゲームという戦争は終わっていることなんかとっくに気づいている。それを知った上で、戦いつづけたんだ。