人間演算プロジェクト

コンピューターゲームにおける対人コミュニケーションの利用法

何かしらの世の中の問題をモデル化して対戦パッケージとして提供すれば、参加コミュニティが勝手にしのぎを削ってその問題に対するいくらかの解決を見せるのかもなあという妄想。ゲーム的な駆り立てる力を、演算力として使用するということ。(演算結果をビジネス収入とすれば、パッケージ配布は無料でも構わないかもしれない)

対人だと、人より優位に立つことが意識としてまず駆り立てられるために、ゲームデザインよりも強力なのか。優越感ゲームか。あるいは対人用だとゲームデザインが弱いのか、信頼が低いのか。対人コミュニケーションとは強いな。やっかいだ。

AoEの各文明で戦争するようなもんか? うーん?

世の中の問題をモデル化、ってまあそこの事象解体構築でかなり決まるけど。エンターテインメントのためのデザインじゃなくて、議論して解決を作り出させるデザイン。何が強くて何が弱いか評価の基準が定められていない。対話による相対性で初めて評価が構築され勝ち負けがでるような? 宇宙開拓みたいな感じかな。

評価基準の制定。美しさの協議創造。

FJX制作の、コアを含めた12パーツ以内での小型飛行モデルの総称。
'00/02〜'00/05の間に集中して制作されました。

対戦ではないけど、『パネキット』において「いかに少ないパーツで効率を目指すか」というメーヴェシリーズなどは、その進化系統図にまとめられているようにネットコミュニティやファミ通入選作からの影響などによって研鑽されていっている。

やはりこれが特に美しいと思うのは、評価の基準が効率化・最適化というところにある点で、これが人的な問題解決モデルになっている。最終的には、人間的な美徳、美しいという価値観に拠る。パラメーターが強いとか弱いとかそういうゲーム的に用意されたもので競うのではなく、何が在るべきなのかという評価基準を作り出している。

それに、メタ的にそれを見て「ああ勝手に頑張ってるな」とか「その頑張りを搾取させてもらおう」とか思う以上に、僕自身こうした趣味的な問題解決志向にすごく駆り立てられるし、プレイヤーとしてこういう運動を積極的に行いたいと思ってしまう。


ただ、そうした自主的に巻き起こされる力はかなり大きくて質のあるものなので(モチベーション的に本業以上のもの)、現実社会の中で生きていくためにそのベクトルがより広くコミュニティ外などになにか流用・転化されるのであれば、対価として自身に還元されなくてもちょっとほっとするかもなという気持ちがある。

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