おいしくプレイ

しかしゲームをプレイする上でもっぱら障害となっているのは、時間を浪費する罪悪感だ。
逆に言えば、どっからどう見ても無駄に過ごさざるをえない時間をゲームに費やすことほど健全なことは無いと思う。*1

だからまあゲーム内容以前に、気持ちよくプレイできる時間を作ること、ご飯を食べるなら空腹にすること。ここ数年はそういう意識が強い。そしてそうした余剰時間とゲームさえあれば、あとはどうとでもプレイしてやる、どんなクソゲーだって面白くプレイしてやろうって自信がある。なんか良く分からないけどそんな気持ちが強いなあ。

つまりそれだけ、ゲーム内容やプレイ技術以上に、ゲームに臨む場を整えるのは難しいように感じてる。

んー、けれどまあ遠慮なくゲームできる時間、無駄な時間、人生のロスタイムが多いというのはゲーム的には幸せだけれど、人生にとってはアレだし。逆にゲームやるヒマもないってのは、正しく充実していて、ゲームやる必要は無いよなって感じもする。

さて。

ええと。まあそういうわけで。

プレイヤーがゲームを遊ぶ技術ってのは、ゲームを遊ぶ時間を作り出す技術、かもなあ。納得して割り当てて注ぎ込めるかというところ。もちろん絶対的に時間量がある人のほうが有利だけれど、そうでなくても無駄な時間というのは人それぞれ持っていると思うし、また、準無駄な時間というあたりにおいて、きっぱりと迷いを捨てることで心情的に無駄な時間に転化させられるかというところかなあ。

  • (迷い)この仕事は今週中にできるかもしれない… →ゲームしても楽しめない
  • (悟り)この仕事は今週中は無理だ!! →気持ちよくプレイ!

んー。なんだ具体的な話にしてみたらそうか。どっちにしろ仕事終わんないならいっそマインドコントロールして遊んでしまえという話か。そうか。そう…なのか…?

*1:これは原則的に、ゲーム=ひまつぶしと捉えるかどうかで違うかもしれないけど。僕はポジティブにひまつぶしだと捉えている(というか、ひまつぶしという言葉自体、それほどネガティブに思っていない。ああそれも指し示す範囲に拠るか)。だから要はヒマを見出してプレイするものだ。